書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

「いじめ」について

ここ数日「いじめ」に関する意見を求められる機会が続いたので、
こちらでも少し書いておきますね。

多くの専門家の方も言われていますが、
ボクの考えとしては、
「いじめる側が100%わるい」です。

根拠として、ある視点からの話を。

ボクは職業がら、
「いじめられていた側」の方々と話す機会は多くありましたが、
逆の立場である
「いじめた側」つまり「いじめっ子」と話す機会も多くありました。

「いじめていた」という子ども達との話で、
「どうして、あの子をいじめたのか」という問いを投げるのですが、
ボクが経験した全てのケースにおいて
明確な回答を出せた子はいませんでした。

ということは、
大した理由もなく、
いじめていたということになります。

裏を返せば、
いじめられていた子に、いじめられる理由などない、
ということになります。

いじめられる側の子に、いじめられる理由などなく、
全くわるいことなどないのです。


また、
「いじめる相手は誰でも良かった」といった回答も少なくありませんでした。

そうしたことからも、
やはり、
いじめられる側の子がわるいということはないのです。

一昔前は、
「いじめられる側にも原因がある」などと言われましたが、
昨今の「いじめ」は質が違います。なにもわるいことをしていなくても、いじめに遭うことが起こり得るのです。

どう考えても、
いじめる側が100%わるいという考えにボクは至ります。


質が違うといえば、
やはり一昔前は
「いじめられたら、立ち向かえ」といった教育もあったかと思いますが、
その点、ボクは反対です。

詳細は書きませんし、例も挙げませんが、
昨今の「いじめ」は、
とても正面から立ち向かえる性質ではないものが多すぎると感じています。

安易に立ち向かっては、
もっともっと大きな傷を負ってしまいかねません。

だから「強くなって立ち向かえ」などと
特に大人は簡単に言ってしまわない方がいいと思っています。


大人といえば、
よくマスコミなどで大人たちが
「どの世界にも『いじめ』はあるものだ」などと言う声を聞きますが、

「どの世界にもある」などと語ったところで、
あまりそうした言葉が有益とは思えません。

どの世界にもあるのならば、
そこから抜け出す方法論を
早急に、そして、いくつも生み出していくことこそが必要ではないかなと。

簡単に言いますと、
いじめられている子に対して
「どこにでもあることだよ、大人になってもあるんだよ」という言葉は
役に立たないと思うのです。
「その先」を生み出すことが、大人の務めでしょう。


話を戻して、
「いじめっ子」達との話。

彼らの中には、
自分が「いじめ」を行っていると自覚していないケースもありました。
あるいは、
無意識であったり、また、わかっているけど止められない、なども。

自覚がないということは、
自分から止める可能性は低いということです。

もし、これを読んでいる「いじめられている側」の方がいるならば、
なにかしらの手段で、
自分がつらい思いをしていることを誰かに伝えて下さい。

いじめている側は、自覚をしていないことがあるのです。
だから、なんとか頑張って「つらい」ということだけでも誰かに伝えて欲しいと思います。

ブログに書くのでもいいんですよ。
仕返しがこわいですよね、だから相手のことを書かなくてもいいので
自分が「つらいよ」ということだけは誰かに伝えて下さい。
「こわいよ」ということも伝えていいのです。


伝えて、逃げて、大人に守ってもらう、
これが方法の1つだと思っています。

頼りない大人もいるでしょう、けど、頼れる大人もいます。

ボクの友人は
いじめに対処する団体を設立しました。文字通り、身体を張った活動を開始しています。
そういう大人もいますから。

誰かに、自分の気持ちだけでも伝えるようにして下さいね。


「いじめ」に関する乱文になりました。

いくつかの意見に賛否はあるかと思いますが、
「いじめ」をなくしたいという想いは誰もが同じだと思いますので、
一方的な発信だけにさせて下さい。

 

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不登校は天才の卵