書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

ボクはよく、

子どもの成長を植物に例えます。

たしか過去にも、そんな記事を書いているかと思います。

 

 

子どもは「種」なんです。

 

種は、

いずれ芽を出します。

 

そして、

茎が伸びたり葉が繁ったり

花が咲いたり実がなったり

 

その姿は様々です、それぞれです。

 

成長した姿は様々でも、

いずれ種は芽を出します、

いずれ種は種ではなくなるのです。

 

もちろん、

水をあげなかったり、土を掘り返されたりしては

種のまま、その生命を終えてしまうかもしれません。

 

けど、

そうでなければ、

種のままでは終わりません、必ず形を変えて成長を始めます。

 

種は、

いつのまにか芽を出し、いつのまにか成長するものであり、

いつまでも種のままではありません、あるはずがないのです。

 

しかし、

保護者の方の中には、

お子さんのことを「種のまま」という前提で話されることがあります。

 

つまり、

かつての姿のまま、なにも変わっていない、なにも成長していない、という前提で

お子さんのことを心配していたりします。

 

「あんなに素直な子だったのに」

「あんなに運動が好きだったのに」

「あんなに勉強が得意だったのに」

 

そんな種だったかもしれません。

 

けど、

いつまでも種のままではありません、種のままであるはずがありません。

 

芽が出て、茎が伸びて、花が咲く過程で、

種の姿は跡形もなくなります。

 

過去の姿のまま成長するとは限らないのです。

 

過去がそうだったからといって、

今も、未来も、同じようだとは限らないのです。

 

しかし、

どうしても種の姿を前提に考えてしまいがちな方もいます。

もうすでに成長が始まっていて、種から姿を変えているのに、

どうしても種の姿にとらわれてしまったり。

 

かつての種から姿を変えていく、それが思春期だとも思っています。

 

いつまでも種のままだとしたら、そちらのほうが心配です。

 

過去の姿に戻りたい子もいれば、戻りたくない子もいます。

 

「素直な子だった」「運動が好きだった」「勉強が得意だった」

それによって苦しくなっている子もいます。

 

過去の姿を未来に繋げることは大切ですが、

過去の姿に戻ることが決して正解とは言えません。

 

種の姿にこだわらず、

もう種ではなくなっていると思ってあげてみて下さい。

 

「あんな種だったのに」

「こんな種だったのに」より、

どんな芽を出し、どんな花が咲くのだろう、と

 

そのように見守ってあげて欲しいなと思います。

 

想像通りに芽を出して、思っていた通りの花を咲かせることもあるでしょう。

けど、

想像していなかった、思ってもみなかった、そんな花が咲くかもしれません。

 

種のままで考えると、

どうしても、他の種と比べてしまいがちになります。

 

あっちのほうが早く芽が出た、とか

もうみんなは芽が出ているのに、とか。

 

種がどう変わっていくのか、

どんな芽が出て、どんな花が咲くのか、を考えてみると

それは比べようがないものになります。

誰にもわからない未来のことですから。

 

ボクはよく、

セミナーなどで

「桜梅桃李」という言葉を紹介します。

 

桜は桜、梅は梅、です。

 

お子さんは種のようなものです。

種は必ず姿を変えます、それが成長です。

 

どんな芽を出して、どんな花を咲かせるのでしょう。

 

それは本人にしかわかりません。

それは大人がコントロールすることでもありません。

 

大人ができることは、

どんな種だったのか、にこだわることではなく、

どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのかと考えながら

丁寧に水をあげて、光を与えることでしょうね。

 

焦って土を掘り返したりしなくても、

丁寧に水をあげていれば、必ず種は成長しているものです。

 

 

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