やつあたり
ある「元ひきこもり」さんの女性。
なにをもって「ひきこもり」とするか、
その定義があいまいで、またボクはこのコトバ自体が好きではないのですが、
この子は自分で「ひきこもり」と言っていたので、そう呼ぶことにします、
いまはもう立派に働いているので、もう「元ひきこもり」ですけど。
ある日、彼女と
その「原因」についての話になりました。
もう「元」をつけられる時期になってからの会話ですが、
当時は、
とにかく部屋から出るのがイヤだった、人と接するのがイヤだった、らしい彼女。
「なんで」と聞いたボクに対して
彼女は即答でした。
「お母さんの『やつあたり』がイヤだったんです」と。
「イヤでイヤでたまらなくて、だから部屋から出ない方がマシで、そのうち出るのが怖くなった」と。
彼女の中で、
その一点が非常に大きかったと。
あくまでも「自己分析」ですけれど、
でも、それだけの自覚があったらしい、
「だから外に出たくなかった」とハッキリ言っていました。
そこで、「やつあたり」の話。
「やつあたり」って難しいですよね。
機嫌のイイときに「やつあたり」する人はいませんから、
たいていは、
イライラ、ムカムカしている状態なわけです。
そんな状態なので、
どうしても冷静に対応することができない。
イライラ、ムカムカしているときに、
学校へ行っていない子供の顔を見ると、ついつい、という感じなのでしょう。
気分のイイときには
「ああしよう、こうしよう」と思っていても、
そんなものは、アタマから抜け落ちてしまう、そして、ついつい。
ガマンしよう、ガマンしよう、と思っていても、
そのイライラやムカムカが、
目つきだったり、
コトバ端々だったり、ついつい。
ドアを閉めるのも
「バターン」とやってしまったり、
スーパーの袋を置くのにも、
いつもなら「トン」なのに、「ドン、ドサッ」としてしまったり、
ついつい。
そういうことは我慢しましょう。
とは言いません。
もちろん、我慢できたらベストでしょう。
機嫌がわるくても、子供の前では常にニコニコしてあげていられれば
本人にとっては有難いことです。
でも、
イライラ、ムカムカ、しているときに、それは無理でしょう。
「ああ、やってしまった」と思って、
「次からはガマンしよう」と思っても、
イライラ、ムカムカしていると、またそんな気持ちは
どこかへ飛んで行ってしまうか、隠れてしまうか。
ついつい、「やつあたり」をしてしまう、
それは仕方ありません。
大切なのは、その後です。
あれ、「やつあたり」してしまったかな、と気づいたら
シンプルに謝ってあげて下さい。
「さっきは、ゴメンね」
と、それだけでイイです。
「やつあたり」をした後で、
「いけない、いけない、機嫌を良くしなきゃ」とか言って
いきなり明るく振る舞う前に、
ちょっと認めて、謝ってあげて下さい。
なんにも言わず、
急に明るい笑顔で、「さぁゴハンよ!」なんて言っても
それを見つめる子供たちの目は冷静だったりするんです。
謝ってあげる、その一言だけで、
子供たちのつりあがった目じりが、ちょっと下がってくるものです、
その状態で、
「ゴハンよ!」と言ってあげて下さい。
何事もなかったかのような言動は、できれば控えた方がイイでしょう。
子供に謝ることに抵抗のある方はいます。
だけど、「やつあたり」は
した方がわるいですし、された方は迷惑。
そこは、認めて謝ることです。
「そもそも、こうなったのもアンタのせいで~」なんて正当化しちゃいけません。
「やつあたり」の後で、
気分を変えて笑顔になるには、それなりのパワーを要します。
でも、そうやって頑張ってみても
場合によっては、
「やつあたりしたおかげでスッキリした」と
見えてしまう子供もいるんです。
イライラを子供にぶつけてスッキリして、そして笑顔で接してくる、
これはちょっとイヤですよね。
頑張って笑顔で接してこられても、イヤですよね。
イヤと思われるだけではなく、
逆に、
「自分が我慢していれば、親はスッキリして笑顔になるんだ」
と考えてしまうことも少なくありません。
スッキリして笑顔で寝っ転がってテレビでも見始められて
「どうしたの、面白いわよ、アンタも見れば?」なんて言われても、しんどいです。
何を聞かれたって、答える気にはなれないでしょう。
その時、子供のココロに残っているのは
さっきの「やつあたり」なんです。
だから、それをまずは消してあげなければいけません。
全てを消すことはできなくても、少なくしてあげなければいけません。
「ちょっとイライラしてたわ、ゴメンね」
って言葉だけで、
子供たちのココロの温度が、ちょっと上がるはずです。