書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

どうして勉強をしなければいけないのか

未成年の方々へのメッセージです。

「どうして勉強をしなければいけないのか」

「いけない」ということはないですよ。
ボクの周りには、
「ぜんぜん勉強をしていなかった」けれども、
幸せに生活をしていたり、
人のためになる仕事をしていたり、という方はいらっしゃいます。

また、
「勉強をしていなかった」けれども、大人になってから勉強を始めた、
という方もいます。

なので、
みなさんが、「しなければいけない」ということは、ないと思っています。

保護者の方は、
「算数や数学ができないと、買い物のときに計算ができなくて困るわよ」
などと言ってくれたりするかもしれませんが、

そんなことはないです。

いまどき、計算をしながら買い物をしている人などいませんしね。
コンビニやスーパーマーケットでは、バーコードでピッピッと計算をしてくれますし、
おつりを間違えるなどということも、まずありえないです。

算数や数学ができなくても、買い物はできます。

しかし、「買い物」でいいますと、
例えば、
「今夜の夕食には肉を買って、家にある野菜と一緒に料理して、
 余ったものを明日のお弁当にすれば、少し朝寝坊しても大丈夫かな」
などと買い物をしながら考えた場合、

そうした考え方が、実は「数学的」なのです。

算数や数学の勉強をしていると、
そんな風に考えることが、いつの間にかできるようになったりします。

このように、
「勉強」というのは、いつの間にか、思わぬところで、役にたつ、
そんな側面があります。

計算問題が解けなくても、幸せになることはできます。
でも、計算問題を少しやることで、いつの間にか、思わぬところで、それが役にたったりします。

昔の人は、
そういうことを知ったからこそ「勉強は大切だ」と言い始めたのでしょうね。


また、本来、人間というものは、
「勉強したいな」という欲求を持っているとボクは思っています。

子どもの頃に勉強を全くしていなくても、
大人になってから勉強をする人は多いです。

そうした方々は、大人になってから欲求が出てきたのでしょう。
もちろん、必要にせまられて勉強を頑張る人もいますが、
それでも大人になってから「勉強しようかな」「なにか勉強したいな」という方の声はよく聞きます。

本当は、問題が解けたり、疑問が解消されたり、
また、新しい知識を身につけることは、
楽しかったり、面白かったり、やりがいがあったり、そういうものなのです。
だからこそ、欲求があると思っています。

だけど、みなさんの世代は、
そうした欲求に気がつく前に「やりなさい」「しなければいけないものなんだ」と、
ちょっと無理に押し付けられてきています、
だから「欲求」ではなく「強制」に感じてしまうのですよね、
だから逆に、やりたくなくなってしまう。
それは仕方がないです。

ボクら大人世代は、
勉強をすればイイ高校へ行ける、イイ高校へ行けばイイ大学へ行ける、
イイ大学へ行けばイイ会社へ就職できる、イイ会社へ就職すれば=それが幸せ、
という考え方の元で育ってきました。

だから、ボクらの世代は、
「どうして勉強をしなければいけないのか」などと疑問に思うこともなく、
ただただ、
やれば幸せになれる、やらなければ不幸になる、という意識で、
勉強というものと向き合ってきた人が多いのです。

簡単に言うと、
なんも考えずに「勉強」と向き合ってきたのが、今のお父さまお母さまの世代なのです。

なんも考えずにいた世代の特徴は、ハプニングに弱いです。
だから、「どうして勉強をしなければいけないのか」などと、
自分たちが考えもしなかった質問をされると、困ってしまうわけで、
なので、「数学ができないと買い物に困る」などと、ちょっと適当な答えをしてしまうのです。
わるぎは無いのです、ウソをついているわけでもないのです、
あまり考えることもせずに、「勉強をすれば幸せ」とだけ教えられてきたので、答えに困ってしまっているだけなのです。

でも、
イイ大学に入れば幸せになれる、イイ会社へ入れば幸せになれる、
なんてことが、絶対とは言えないことを、みなさんはもう知っていると思います。
実は、大人よりも、みなさんの方が先に気がついているのだろうと思います。

勉強をすれば幸せになれる、
そういう時代とは、ちょっと違うんですよね、もう。


だけど、先に書いたように、
本来、「勉強したいな」という欲求はあるものです。

幸せになるための勉強、ではなく、
勉強すること自体が幸せ、なのです、本来は。

美味しいものを食べると、ちょっと幸せですよね。
そしてまた食べたくなったり、それを食べるために頑張れたり、
また、それを自分で作ってみたくなったり、そういう感覚です。

逆に、まずいものを食べたり、
また、食べたくもないときに食べさせられたり、
そんな経験があると、食欲もなくなるでしょう。

勉強も似たようなものです。

勉強自体が、本当は「ちょっと幸せ」になれるプラスのものなのです。
加えて、先に書いたように、あとになってから「いつの間にか」役にたっていたりするものなのです。


ボクはよく、「勉強」を「お金」にたとえます。

お金がなくても生きていけます。
お金がなくても幸せな人はたくさんいます。

だから勉強も、「なければいけない」ということは、ありません。

だけど、あった方がいいかも、という部分はあるのです。

お金がなくても幸せになれる。
でも、
例えば、どうしても必要なものを買いたい場合、
例えば、大事な友人を助けたい場合、
例えば、愛する人が病気になった場合、
そんなときは、お金があったほうがいいです。

勉強は「お金」みたいなもの。

勉強をすると、
したぶんだけ、“貯金”されるわけです。

仮に三日坊主で終わってしまっても、
三日分は確実に貯金されます、それはみなさんの財産です。

知識や経験というのは、消えることがありません。
勉強も一緒です、少ししかやっていなくても、貴重な財産として残ります。

ちょっと忘れてしまうことがあっても、
みなさんの中の“引き出し”に確実にしまわれるものです。

そんな貯金があった方がいいなと思ったら、
少しずつでも、勉強をした方がいいです。

一気に大金を得るのは難しいですからね、
コツコツと貯めておいた方が楽です。

いざ必要だ、となったときに、
貯金があるのとないのでは、違ってきますからね。

よく大人が、
「勉強をしておけば選択肢が広がる」などと言うのは、そういうことです。

1,000円あれば、1,000円のものが買えますし、
10,000円あれば、1,000円のものも5,000円のものも10,000円のものも買えますからね。


繰り返しですが、
お金がなくても幸せになれます、
それに、お金よりも大切なもの、というは間違いなくあります。

同じく、勉強をしなくても幸せにはなれます。


でも、やらないよりは、やっておいた方がいいだろうな、
というものです。

「しなければいけない」ということは、ありません。

でも、勉強をすることで、
ちょっとした幸せを感じて、
そして“貯金”ができて、
そして後々になって役に立ったりする、

と、そういうものです。


この記事を読んで、

「ちょっと勉強を頑張ろうかな」と思ったら、
三日坊主でも一日坊主でもいいですし、
好きな科目だけでもいいですから、やってみて下さい。
それだけで、貯金になります、財産になります。

「それでも勉強なんてやりたくない」と思ったら、
無理にやらなくてもいいですよ。
いつか気が向いたら、やってみて下さい、大人になってからでも全く遅くはありませんし、
ずっと勉強をしなくても、幸せになれる道はあります、そういう時代です。


これで記事を終わりますが、
ここまで、最後まで文章を読めた方は、
それだけでも、今日は国語の勉強になったと思います。
長かったですからね、それに難しいテーマで、複雑な文章でした。
なので、十分に国語の勉強をしたようなものです、頑張りました。

そしてその「今日の国語の勉強」も、
ちゃんと貯金されて、財産になりますよ。

そして、いつか、なにかの役に立つかもしれません