書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

ルール

「ウチの子が『こうしたい』と言うので〜」と保護者は言うものの、
よくよく本人に聞いてみると
「こうしたい」ではなく「こうしなければいけない」という気持ちでいることがあります。


いわゆる「〜ねばならない」という状態ですね。


言い換えれば、
本人の中で「ルール」ができている状態です。


「こうしてみたい」「こうなりたい」といった前向きな意思や欲求ではなく、
「こうしなければいけない」と、後ろ向きな「ルール」を定めてしまっているのです。


そんな「ルール」は、たいてい身近なオトナの影響を受けて定められていきます。

 

もともとは、
安全に生活をするため、より良く生きていくため、といった
“前向きな”「ルール」をオトナは教えていきます。

 

それがいつしか、
「他人に迷惑をかけてはいけない」という目的の「ルール」が加わり、

そしていつしか、
「親に迷惑をかけてはいけない」という「ルール」も現れて、

いつの間にか、
「親の思うように動くこと」が「ルール」になったりします。

 

「ルール」というよりも「レール」ですね。

 

「レールを外れてはいけない」ということまでもが「ルール」になっていったとき、
すでに本人は気づかぬうちにがんじがらめです。

 

幼いときには気づかなかったものが、
思春期になり、自我が芽生えてくると、言動や心境に影響をし始めることがあります。

 

「こうしなければいけない」「〜ねばならない」。
その「ルール」を守らなければいけない。

 

そんな「ルール」で苦しくなっていきます。
そんな「ルール」を山ほど抱えている子は増えています。

 

法律という「ルール」を社会的には守らなければいけません。
罰せられますからね。

 

しかし、
オトナが決めた「ルール」を守らなければいけない、ということはないのです。
仮に守れなかったとしても、人間的にダメだとか「終わっている」とか、そういうことはないはずです。
オトナが勝手に決めただけの「ルール」なのですから。

 

「忘れ物をする子」は、
単に「忘れ物をする子」であり「人間的にダメな子」ではありません。

 

「学校へ通えないこと」は、
単に「学校へ通えない」というだけのことであり、犯罪でもなければ「終わっている」わけでもありません。

 

けど、
「ルール」がジャマをします。

 

なにも「終わって」なんかいないのに、
「ルール」を守れなかったと勘違いをして、勝手に「終わった」と思ってしまうのです。

 

想定された「レール」を少し外れるだけで
「ルール」を守れなかったということになり、
あたかも罪を犯したかのように感じてしまうのです。

 

「レール」を外れることは「ルール」を破ること、
だから「レール」も「ルール」も外れないように頑張らなければいけない。

 

 

こんな「ルール」で苦しんでいるのですから、
こんな「ルール」は、ちょっと外してあげたいですね。

 

「外す」とは、
「それでも別にいい」と心から思えることです。

「レール」から外れているけど「まぁいい」と思えれば、
「ルール」から外れることができるでしょう。

 

しかし、
たいていは何年もかけて蓄積され、刻みこまれながら
本人の心の中に「ルール」として確立されていることが多いので、
いきなり「まぁいいよ」と言ったところで
簡単に外れるものではありません。


しかし、「まぁいいよ」と言っただけで
一気に気持ちが楽になる場合もあります。

 

何度か言っても「ルール」が外れない場合と、
一度の声かけで「ルール」から解放されて楽になる場合とでは、
何が違うのでしょう。


ボクは、
保護者自身が「ルール」を外せているかどうか、だと思っています。

 

つまり、保護者自身が
「まぁいいや」と思えているかどうかですね。

 

本人ではなく、保護者のみなさん自身が
「ルール」でもない不要な「ルール」を作っていないか、ちょっと見直してみるといいかもしれませんね。