学校へ「行かせよう」
学校へ行けるようになって欲しい、
という気持ちは自然なことだと思います。
そこで保護者の方は、
「学校へ行かせよう」とするわけですが、
「行かせよう」とするよりも、
「行ける状態にしてあげよう」というイメージにしてみて下さい。
ここでいう「状態」とは、
本人の気持ちのことだったり、または学校やクラスの環境であったり様々ですが、
行ける状態さえ整えば、勝手に行きますよ、
本人達だって「行けるものなら行きたい」と思っているわけですから。
行ける状態を整えてあげようとしても、なかなかうまくいかない場合は、
もう行かなくてもいいと思います。
こちらでは、どうにもならないこと、
あるいは、すぐにはどうにもならないこと、というのはあります。
いずれにしても、
「行かせよう」ではなく、
「行ける状態にしてあげよう」というイメージが大切です。
行ける状態でもないのに、それでも行く、というのはつらいです。
「行ける状態にしてあげる」ことを飛び越えて、
「行かせよう」とするのは無理が生じます。
まずは「行ける状態にしてあげよう」というイメージが第一段階です。
今は休ませる、好きなことをさせる、リラックスする時間を作ってあげる、
問いつめない、プレッシャーから解放させる、たくさんしゃべらせてあげる、
あるいは、
保護者の方がまず楽になる、ご夫婦でよく話し合う、家族の時間を作る、
また、
よく食べさせてあげる、よく眠れるようにしてあげる、
などなどが大事とボクが言うのは、そういうことです。
まずは「行かせよう」という動きではなく、
「行ける状態にしてあげよう」という動きが必要です。
あとは、
学校の先生と話すとか、友達に話を聞いてみる、なども。
理屈を言うようですが、
「行ける状態」が整わない限り、行けるわけはありません。
やるだけやって行けなければ仕方がない、というくらいに割り切って、
徹底してあげて欲しいなとも思います。
「行ける状態」とは、
言い換えれば「生きる状態」ともボクは言ったりします。
学校へ行こうが行くまいが、
本人達は日々生きているのです。
だとしたら、まずは「生きやすい状態」を作ってあげて下さい。
それが、学校へ「行きやすい状態」を作ることにもつながります。
本人達の“人生”を無視して「行きなさい」とだけ言うのは、
ちょっと、かわいそうかもしれませんね。
今日も生きています、明日も頑張って生きるのです。
なので、「生きやすい状態」を作ってあげたいものです。
ダジャレのような記事で、すみません。