書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

例えば今日は七夕です

「勉強なんてしなくてもいい」と、
保護者の方が本人へ言ってあげたりすることがあります。

無理に登校することないよ、
無理に勉強をすることないよ、と
そんな意図で言ってあげるそのセリフはとてもいいと思います。

実際ボクも、
「無理に勉強などすることない」と言い切ることは少なくありません。

ただ、
ボクの考えをハッキリと書いておきますが、
「勉強はした方がいい」です。

勉強をする理由については以前の記事で書いた気がしますが、
どんな理由であれ、勉強をしておいた方がいいのは事実だと思っています。

ただ、
ボクが言う「勉強はした方がいい」というセリフには
2つほど前提があります。

1つめは、
「無理やりやっても意味はないし逆効果の可能性もある」ということ。

2つめは、
「学校や机の上で教科書を使うことだけが『勉強』ではない」ということ。

今日の記事でお伝えしたいのは、
この2つめの方です。

どうしても机に向かえない、教科書に手が伸びない、
ペンを動かしてもはかどらない、集中できない、頭に入らない。

そのような状態であれば「勉強などしなくていい」と言いたくなりますが、
でも、
机と教科書がなくても「勉強」になることはあります。

「勉強」とは、
「自分が幸せになるために、知っておいた(身につけておいた)方がいいこと」を
学ぶ機会だとボクは思っています。

テストに出なくても、偏差値に関係なくても、
「勉強」になることはあり、「勉強」の機会はあります。

国語や理科や社会科という名前がついていなくても
「勉強」の機会はありますし、
それを与えるのは大人の役目です。

魚屋さんが、
「この小さいやつがアジで、大きいやつがマグロだ」
「さわってごらん、ヌルヌルするだろう」
と言う。

これは立派な「勉強」なのです。

しょっちゅう書いていることですが、
ボクら大人世代と比べて、今の子ども達は大人に接する機会が減っています。
近所の魚屋さんが「勉強」を教えてくれるような機会は少なく、
こちらから意識して「勉強」をさせてあげた方がいい時代なのです。

無理に机に向かわなくても、無理に教科書を開かなくてもいいのですが、
だからといって、
「なにもしなくてもいい」としてしまっては、「勉強」の機会を失います。

机に向かうのが難しい、教科書を開くことに抵抗がある。
だったら無理はしなくていいです。
だけど、机も教科書もいらない「勉強」はさせてあげて下さい。

国語でも算数でも英語でもなくていいので、
「知っておいた方がいいこと、身につけておいた方がいいこと」の「勉強」は
させてあげて下さい、機会を作ってあげて下さい。

それほど難しいことでもありません。

「なにもさせなくていい」として、つい本当になにもさせないのではなく、
「教科書の勉強は難しそうだから、違う『勉強』を」と少し意識して頂くだけで構いません。


例えば、今日7月7日は「七夕」です。

「今日は何の日か知ってる?」
「今日は七夕だね」

この一言だけでも、
「勉強」のきっかけであり、あるいは立派な「勉強」です。


七夕の話題で、
その説話の登場人物を挙げてみたり、調べてみたり、
あるいは、星空で位置を確認したり。

そこまでいけば、もう十分に「勉強」です。

最近のブログは若手の方も見て下さっているのであえて書きますが、
七夕というネタ1つで、
理科だけではなく、社会科も古典も算数も問題が作れそうですよね。

織姫と彦星の話をしながら「Milky Way」と教えてあげれば、
単語帳などを使うよりもはるかに忘れにくくなります。

ご家庭でそこまでする必要はないですが、
ありきたりの話題や、身の回りのことなどが、確かな「勉強」になるということは、
ぜひ意識してあげて下さい。

成績のため、ではなく、将来のため、です。
どうせテストを受けないから意味がない、ではなく、より豊かに生きるため、です。

教科書を開けないからといって何もさせないのではなく、
機会があれば、「勉強」のきっかけを作ってあげて下さい。


意識することで、ネタを探すようになり、
「えっと、今日は何の日だっけ」などと考える習慣がつけば、
保護者の方も「勉強」になりますしね。