書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

恥をかく

ちょっと高いハードルに感じる方は多いかもしれませんので、
頭の片隅に置いておくつもりで読んで下さい。

お子さんが学校へ行けないでいると、
他の保護者と話すとき、
話題によってはあまり話したくなくなることがあるでしょう。

「テストの点数が良くなかったわ」
とか言われても、
「テストを受けられるだけいいじゃない」
などと思い黙ってしまったり、
「友達とケンカしたみたいで」
とか言われても、
「ケンカできるだけいいじゃない」
などと思い黙ってしまったり、

そして、
「~さんちは、どうなの?」
と聞かれたとき、
ついちょっとゴマかしてしまって、
「ウチは、まぁそれなりにね」などと曖昧に答えて、
「ウチは学校へ行ってないのよ、テストも受けてないしケンカもできない」
などとは、なかなか言えなかったりします。

それは仕方がないです、自然なことです。
わざわざ言うのもなんだか抵抗があるものです。
言ったあとの反応も気になってしまいますよね。

言った後で、
気まずい空気になったら困るなとか、
陰口を言われたら嫌だなとか、
逆に同情をされても疲れるなとか、
そうやってマイナスの反応が予想されるから、
どうしても曖昧な言動になってしまい、
だったら、もう他の保護者と話すのも嫌だななんて思ったりもするかもしれません。

誰だって、マイナスの反応が予想されれば、
できればそれを避けたいものです。

けど、
いったん恥をかいてみよう、
くらいの気持ちになってみるのも
いいかもしれません。

実際には「恥ずかしいこと」ではないのですが、
それは置いておくとして、
気持ちとしては「恥をかいてみよう」というイメージで
誰かに話す機会を持って頂けたらいいなと思います。

悩みの深刻さは違いますが、
例えば、
歌うことがとても苦手だったとします。
周りのみんなはカラオケが大好き。
いつも話を合わせてはいたけど、本当は歌うことが苦手なのでカラオケなんて絶対に行きたくない。
けど、そんなこと言うのは恥ずかしいし、
なにより自分がそんなことを言ったら、その場が気まずくなりそうで反応が怖い。

だから、カラオケに誘われても、
いつもいつも理由をつけて断ってきた。
話は合わせながら、カラオケが嫌いなことは伏せてきて、絶対に歌うことだけは避けてきた。

しかし、どうしてもカラオケに行く場面が来てしまった。
もう歌うしかない、嫌いだし、恥ずかしいけど、歌うしかなくなった。
もう全てをあきらめて、その後の反応を覚悟して、その後は孤独になることも落ち込むことも覚悟して、 歌ってみた。

歌い終わる。
たしかにうまく歌えなかったし、その場は逃げ出したいくらいだった。

けど、
周りの反応は、思っていたのと違って
それほど冷たくもなければ、気まずい雰囲気にもならず、
その後もそれまで通りに過ごすことができた。

それどころか、
曖昧にしたり、ゴマかしてしまったり、避けてしまっていたことを、
ちょっと正直な姿で示したことで、ずいぶん肩の力が抜けて楽になった。

なんてことは、
十分にありえる話です。

恥というものは、
かかないようにしていると、周りが思う以上に自分自身の負担は大きくなります。
大きくなればなるほど、恥をかくのが怖くなります。

逆に、
かいてしまえば、意外と楽になったりします。

実は「恥」だと思っていたことが
全くそんなことなかったと感じられるのは、
自分なりに「恥をかいた」後だったりします。

だからといって、
「なんでも隠さずに話す」ことには勇気がいるでしょうし、
「恥をかいてもいいやと思える相手」など簡単に見つかるものでもないでしょう。

だから、
頭の片隅にだけ置いておいて下さい。
「恥をかいてみよう」「恥をかいた方がいいのかも」と。

この人になら話せそうかな、とか、
もうゴマかすのも疲れたな、とか、

そんな風に感じるときがきたら、
意を決して、恥をかいてみて下さい。

恥をかくのって、
そんなに恥ずかしいことでもないんですよ。