書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

矛盾

オトナの言うことなんて、

けっこう矛盾ばっかりです。

 

「なんでもイイから夢中になれるものを見つけて欲しいわ」

 

なんて言いながら、

 

子供がゲームに夢中だと、

 

「ウチの子はゲーム依存だ」って嘆く。

 

ならばと

今度は子供が夢中でマンガを描いていたりすると

 

「どうせ夢中になるなら、もっとマシなことしなさい」

 

なんてお説教が始まる。

 

じゃあ、なにをすればイイんだと子供が尋ねると

「スポーツとか勉強とか、いろいろあるでしょ」って、答えたりするので、

 

子供は当然、

「なんでもイイから夢中になれ」なんてコトバとの矛盾を感じるわけです。

「なんでもイイ」って言ったじゃないか、だからオトナは嫌なんだ、と。

 

どうしましょう。

 

「なんでもイイから夢中になれるものを見つけて欲しい」というのは保護者としての本心でしょうし、

「ゲームに夢中じゃ困る」というのも本心ですよね。

 

どうしても矛盾します。

 

「完璧な親」を目指すのであれば、

 

「なんでもイイ、と口にした以上、なにをやっても、どんなことに夢中になっても認めてあげる」か、

もしくは

「ゲームやマンガを除いたマシなものに夢中になって欲しい」と伝えるか、

ちょっとややこしいですが、そんな感じにすれば、

矛盾はなくなり、子供も反論できず、より「完璧な親」に近づくことができるでしょう。

 

で、

 

果たして、「矛盾のない、完璧な親」というのは、

そんなにイイものなのでしょうか。

 

そんなことないですよね。

ちょっとくらい、矛盾したことを言っているくらいでイイんです。

 

完璧な親なんて、それほど魅力は感じません、少なくとも子供たちは。

 

矛盾なく、完璧な子育てをして、

それで満足を得られるとすれば、それは子供本人ではなく、保護者だけですしね。

 

「ウチの母ちゃんは、言うことが矛盾せず、反論の余地もなく完璧なんだぜ」

 

なんて自慢する子はいません、ってか自慢にも何にもならないです。

 

「ワタシのママは、言うことがメチャメチャな時もあるけど、でもとっても優しいんだ」

 

っていう自慢の方が、保護者としても嬉しくありませんか。

 

ちょっと矛盾しているくらいでイイんです。

むしろ、矛盾しているくらいが、ちょうどイイんです。

 

矛盾なく、完璧で、常に正しい、そんな接し方は、時に子供がきゅうくつだったりします。

 

ちょっとミスしたり、わけがわからないくらいでイイんです。

 

「右か!左か!どっちか!それはなぜか!」

 

なんてスタンスはいらないんです。

 

「右へ行こうか」と子供に言い、

「さっきは左って言ってたじゃん」とか反論をされて、

「そっか、じゃあ左にしよう」

「なんだい、どっちなんだよ!」とか言われているくらいでイイんです。

 

右か、左か、ではなく、

右へ行ったり、左へ行ったり、ユラユラとしながら進むイメージでイイんです。

 

行き止まりだったらどうしよう、なんて考えすぎず、

行き止まりだったら、

また親子で戻ってくればイイんです。

 

いくらかの矛盾は珍しいことではありません。

 

だから気にしすぎないで下さい、

完璧さを求め過ぎないで下さい。

 

「なんでもイイから夢中なものを見つけて欲しい」

「ボクはゲームに夢中だよ」

「ゲームはダメよ」

「『なんでもイイ』って言ったじゃないか」

「ゲームはダメよ、ゲーム以外で見つけて欲しいわ」

「なんだい、矛盾してるな」

「あ、ホント、矛盾してるね、ごめんね、でもゲーム以外で見つけて欲しいわ」

「ちぇっ、ブツブツ、ブツブツ」

 

そんな会話でイイんですよ。

 

ちょっと矛盾しているくらいが、

実は子供たちもホッとしたりするものです。