書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

見守るってなに

「見守る」ことを実践されているという方が、

ここ数年で、どんどん増えている印象があります。

 

でも、

 

「見守る」って、なんなのでしょう、どういうことなのでしょう。

「放置する」とか「甘やかす」、あるいは、「見はなす」とは、どう違うのでしょう。

 

これについては、色んな側面があるので、色んな言い方ができますし、

また、状況によっても様々に変わってくるのですが、

 

今日は1点だけ。

 

「見守る」というのは、

「子供だって、つらいんだ」と心から思えているかどうか、が大前提です。

 

そう思えているかどうかが、

見守っているのか、そうでないのか、の違いにもつながります。

 

「子供だって、つらい」と、あまり心から思えていない状態で「見守る」のを実践しても、

形式的で中途半端になってしまい、場合によっては逆効果です。

子供たちは、形式的だったり、表面的だったり、というものを見透かす力が絶大ですから。

 

そんなこと言われても、思えないものは思えない、という方も、いらっしゃるかもしれません。

 

そういうときは、

「見守る」とかなんとかと、お子さんに対しての行動を考える前に、

まず、ご自分のことを考えてみて下さい。

 

このブログで、あまり抽象的な言い方はしたくないのですが、

あえて言うならば、

 

まず、ご自分のココロと向き合ってみて下さい、

 

といったところでしょうか。

 

違う言い方をすれば、

 

「もうウチの子はダメダメだ、カウンセリングへ行かせよう」と思う前に、

ご自分がカウンセリングを受けてみましょう、という感じでしょうか。

 

「子供だって、つらい」と思えないときは、

ご自分のココロに少しでもゆとりができるよう、少しでも冷静になれるよう、少しでもゆっくりと考えられるよう、

まず、そこから取り組んでみて下さい。

 

第三者へ話をしてみたり、気分転換を試みたり、読書や趣味の時間を確保したり、

不登校関連サークルの「いばしょクラブ」 がやるようなオフ会なども、そんな時間になりますし、

別にオフ会ではなくとも、近所の親の会に出てみるのでも、職場の方と食事をするのでも、旧友と再会するのでも、なんでもイイです。

ご自分のココロにとってプラスとなると思うことを、取り組んでみて下さい。

 

少しでも、少しだけでも、ご自分自身のことを落ち着いて見つめてみて、ココロと向き合ってみて、

そこから、お子さんのことを考えてあげましょう。

 

そして、少しだけでもココロにゆとりができることで、

「そっか、子供だって、つらいんだ」と、心から感じてあげられるとイイなと思います。

 

「見守る」という行動面にばかり、とらわれすぎないようにしましょうね。

 

「子供だって、つらい」と心から思ってあげられれば、

ハッキリ言って、

「見守る」とか意識しすぎなくても大丈夫です.