書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

いつまでも(ひとりごとです)

ひとりごとを書くつもりです。

ボクは、

「保護者の方からメールがありました」とか「かつて担当した子に会いました」とか記事に書くことがあるので、

ずいぶん保護者の方や生徒などと交流が続いているように思われるかもしれませんが、

 

正直なところ、

過去にやりとりをしていても、今ではもう続いていない、という方も多いです。

 

ご相談を受けたりしていても、

学校復帰や受験終了や卒業を機に関係が終了し、

そして、やりとりも終了するわけです。

 

これはさびしいな、と思ったりすることがあります。

 

でも仕方がないんですよね。

 

たとえば、

「不登校」のご相談を受けていても、学校へ戻ることができたら「不登校」ではなくなるので、

その後にご相談を受けることがなくなり、そして関係は終わるのが自然なのです。

 

その後にもご相談を受けることはありますが、

本人が卒業・就職、とまでなると、さすがに本人に関する「相談」などは、ほとんどありません。

 

もちろん、

関係を続けて下さっている保護者の方もいますし、

忘れたころに連絡してくる元生徒もいたりします。

facebookのおかげで、元生徒や保護者の方などと交流を続けやすい環境にもなりました。

 

先日のイベントでも、

お子さんがすでに大学生となり、かつての悩みも過去のことになっているような保護者の方と再会し、

「そのせつは、どうも」みたいな挨拶をさせて頂くのは、嬉しいものです。

 

ただ、そうではない方も多くいるわけです。

基本的に、「悩み相談」は、悩みがなくなれば終わるのは当然。

「便りのないのは、よい便り」と思いながら、自分では消化しています。

 

ボクのことは置いておくとして、

 

このブログを書き始めて、オフ会やイベントなどを開いてみて、

人と人との「つながり」を目の当たりにしながら、

 

「いつまでも、つながっていて欲しいな」と思ったりします。

 

保護者や経験者の方々が、「不登校」の悩みを抱えて、それを共有できる方々と「つながり」を持つ。

その、せっかくのつながりが、

途絶えてしまっては、もったいないな、と思うわけです。

 

不登校でなくなったら、悩みもなくなり、

例えば、ボクのブログを読む理由もなくなり、オフ会やイベントへ行く意味もなくなり、

そうなると、「つながり」もなくなることでしょう。

 

もちろん、悩みがなくなるのはイイことですので、それは喜ばしいです。

それこそが、望んでいた日々のはずですからね。

 

でも、「つながり」だけは、続いて欲しいな、と願う気持ちもあるのです。

 

ある保護者の方が、

「もう不登校時代のことは全て忘れたい、当時の人間関係も全て断ち切りたい」とボクに言ったことがあります。

 

そういう感情もあって当然だと思いますし、

そうやって前に進むこともイイと思います、ホントに。

 

ただボク個人としては、

「つながり」が、いつまでも続いて欲しいな、と思うわけです。

 

「不登校サークル いばしょクラブ」ができたときに記事で書いた気がするのですが、

保護者の方が、おじいさん・おばあさんになっても、

また、経験者の方が、おじいさん・おばあさんになっても、

サポートする立場のメンバーが、おじいさん・おばあさんになっても、

そして子どもたちが、立派な大人になっても、

 

それでも、「つながり」が続いているとイイなと、思っています。

 

オフ会の年齢層が、ずいぶん高くなるかもしれませんけどね。

 

いまは「不登校」というキーワードを通した人間関係で、

そして将来は、ただの友達として、

 

いつまでも、いつまでも、「つながり」が続いていたら、素敵だな、と。

 

友達は、いないよりも、いた方がイイですからね。

たとえ会えなくても、ネット上であれ、メールだけであれ。

 

というわけで、

みなさん、よろしければ末永く、末永く、つながっていましょう、いつまでも。