学校へ「行くこと」
中学校の教師をしている友人から連絡がありました。
学校を休んでいた女の子。
先日の始業式。
同級生3人が家まで迎えに行ったらしく、
一緒に登校してきた、と。
お母さまは「もう、行ける」と安心した様子、と。
それはそうですよね。
お母さまが安心するのは当然です。
ただ、友人が言うには、
「そんなに根は浅くない」と。
同感ですね、この報告だけでは。
安心したり、喜んだりしているところへ、
水をさしたいわけでは全くありませんし、
いたずらに不安をあおりたいわけでもありません。
しかし、
上記の報告だけで、
「解決した」としてしまいかねないところに、
この業界の、そして風潮の、大きな問題点があると思っています。
この報告だけじゃ足りません、「安心」や「解決」には。
友人の「報告」を続けます。
迎えに行ったのは「ちょっと強引な女子たち」、
その中には、本人が「アウト」な生徒がいる。
そして本人は、
「周りにノーと言えない性格」と。
ここまでの説明でわかりますよね、
本当に「安心」していいのか、これが「解決」「もう行ける」なのか。
学校へ行けた、
という、その先のことを、必ずオトナは想像してあげるべきです。
保護者の方を安心させるためだけに、
学校で耐えに耐えてしまう子もいますからね。
果たしてそれが「解決」であり、
保護者の方が望んだ姿であり、
そして、本人に「居場所」のある姿なのか、ということです。
想像をしてみて、心配をしてみて、
それで、なにもなければ、それで良しです。
「学校へ行った」という姿だけで、全てを判断しないであげて下さい。
もう少し先まで、ちょっと想像してあげて下さい。
「それでも学校へ行けたんだからイイじゃないか」という声は、当然あると思います。
ただ、ボクはそう思いません。
そんなに単純でも楽観視できるものでもないです、
今の子どもたちを取り巻く環境は。
学校へ「行くこと」ではなく、
学校で「過ごすこと」が“登校”、という意識が必要です。
保護者も先生もカウンセラーも、
そこまで心配する必要があると思っています。
繰り返しですが、
心配をしてみて、それでなにもなければ、それで良し、ですから。
学校へ行ったお子さんを見送るとき、
その背中だけで安心するのではなく、
もうちょっとだけ、もうちょっと先のことだけ、
1時間後、2時間後の背中を想像しながら、
考えてあげて、心配してあげて、祈ってあげて下さい。
そして、帰ってきたときの表情も、しっかりと見てあげて下さい。
親ばかでも何でも構いませんから、
学校で無事だったかどうか、先生に細かく確認をして頂きたいくらいです。
「今日は学校へ行ったから、ごちそうよ」などと言う前に、
必ず、ちゃんと表情を見てあげて下さい。
学校で体調は崩さなかっただろうか、誰かと話せただろうか、
居場所はあっただろうか、傷ついてはいないだろうか、
見抜いて下さい、このタイミングでサインに気がつけるのは、ご家族だけです。
この点に関しては、
心配性なくらいで、ちょうどいいです。
なにもなければ、それで良し、ですから。
しつこくて、すみません。