書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

現実を受けいれない

「受けいれる」というのは大事だと思います。

いまの状況を受けいれる、ありのままを受けいれる。
あるいは、「受け止める」とも言ったりしますが。

こんなはずじゃなかった、こんなはずはない、
と思うのではなく、

これが現実なんだ、ここから始まるんだ、
といった感じで、受けいれる。

こういう考え方で過ごすことがベストだとは思います。
それができれば、保護者の方も、本人も、気持ちが前に進めたりしますしね。


しかし、
全部が全部、そんなに、受け入れられますか。

もちろん、できるのであればベストです。
でも、そうではないときがあったって、いいと思うんです。

よく保護者の方などが口にされることで、

「同級生が通学している姿を見ると、つらい」とか、
「仲の良かった子たちが部活をしているところを目にすると、つらい」
といった場面があります。

そんなとき、

その光景をじっと見つめながら、
「でも、ウチの子は違ってもいいんだ、一緒じゃなくてもいいんだ」
などと、
つらい気持ちを跳ね返して、しっかりと現実を受け入れる、
ということが、できるのであれば、それがイイと思いますが、

でも、
別に、目を閉じちゃってもイイと思うんです。

つらい光景なんですから、無理に受け入れたりせずに、
目をそらして、サッサと逃げるようにその場を去ったってイイんですよ。
むしろ、それは自然です。

そんなときまで頑張って、何かを自分に言い聞かせる必要なんてないとボクは思います。

つらいんだから、
目をそらして、目を閉じて、見えないようにして、
涙をこらえて、あるいは逆にワンワン泣いて、なんにも言葉にならなくて、
だけど、それでもイイと思うんです。

なんでもかんでも受け入れる必要はないですよ、
つらい光景を無理に見る必要もないですし、
つらいときにまで“理想の親”である必要なんてありません。

「受け入れる」のが大切だとわかっていながら、受け入れることができなかった。
でも、別にイイんです、そんなときくらいありますよ。


仮の話ですが、
「完璧な子育て」を目指したがあまり、それが親子ともにストレスとなって、
そして、お子さんの「不登校」という形になって現れたとします。

その「不登校」への対処まで「完璧」を目指したのでは、
同じことの繰り返し、とまでは言いませんが、
またストレスがたまるだけじゃないですか。


こうしよう、ああしよう、という心がけは大事ですし、
こうなるとイイな、これを目指そう、という目標も大事ですし、
そのために、「現実を受け入れる」という行動や思考も非常に大事ですし、
そうあって頂きたいとは思います。

でも、そうではないときがあったってイイんですよ、ということです。


「あ、いけない、いけない」
「あ、またやっちゃった」

たぶん、これくらいが、ちょうどイイはずです。