書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

自分で「やる」といったのに、やらない

「これをやりたい」と自分で言ったのに、結局は続かない。
「明日は学校へ行くよ」と自分で言ったのに、行かない。

本人が自分で「やる」と言ったことが実行されないと、
落ち込んだり、腹が立ったり、やりきれなくなったり、
そんな気持ちになることでしょう。

自分で「やる」と言う、だけど、できない。

これについては、色々な見方があるのですが、いくつかだけ書きます。

ひとつは、
「本当に自分の意思なのか」ということ。

どうしても、そう言わなければいけないような気持ちになって、
仕方なく「やる」と言ってしまう子は少なくありません。

「やる」と言わなければ怒られる。
あるいは、
「やる」と言わないと心配をかけてしまう。

だから「やる」と言ってしまうけれど、
心の中から本当に湧き出た意思ではなかったりします。

それを「ウソをついている」と言ってしまうのは、ちょっとかわいそう。

やむを得ず、「やる」と言っているのかもしれません。

大人の世界にだってあります。

営業マンの方などはわかるかもしれませんが、
よく会社の営業会議などで「来月の売上はいくらやるんだ」などと聞かれて、
少ない目標を言ったのでは、間違いなく上司に怒られます。
だったら、無理そうでも高い目標を言うしかない。

そのようなシチュエーションで、
自分の本当の意思を示すというのは難しいもの。

ここでの言葉は、
自分の意思というよりは、
「こうありたい」という理想や願望であったり、
「こうあらねばならない」という義務感に近いわけです。

それを「自分で言っただろう」というのは、
ある面で、言質(げんち)をとっているだけに過ぎません。

言質とは、言葉を人質にとるということ。
そもそもは相手を責めるために使うものです。

本人が「やる」と言った、その事実だけをつかまえて、人質にして、
そして結果を責めるというのは、ちょっと、かわいそう。

そう言わざるを得なくて、
そうありたいと思って、
そうあらねばならないと思って、
それで「やる」と言っているだけだとすれば、

すぐに実現できなくても、全く不思議ではありません。

特に、
本人が「わからない」と言いつつ、やっと決めたことや、
さんざん悩みながらも決めたことなどは、
その可能性があります。

だとしたら、
その言葉だけを切り取って「自分で言った」としてしまうのではなく、
「ちょっと無理をして言ったのかな」と思ってあげて欲しいかな、と。


ふたつめは、
「できないということは、それだけ難しいということ」です。

本当に自分自身で決意をして「やる」と言うケースはもちろんあります。
頑張ろうと決めて、「やる」と言ってみるわけです。

だけど、できなかった。

でも、そういうことはあるものです。
大人だって、自分で「やる」と言ったことを全て達成しているわけじゃないですよね。

「だけど私はこれくらいできる」と大人は言うかもしれませんが、
それは別々の人間なのですから、理解をしてあげて欲しい場面はあります。

ましてや、大人が子どもを相手にしているわけですから、
背の高さの違う相手に対して「これくらい届くでしょ」と高いところへ手を伸ばしてみるようなもの。
届かない子は、届かないのです。

自分で「やる」と言ったことを、応援はしてあげて欲しいです。
紙に書いて貼るとか、日々確認をするとか、
そうした適度なプレッシャーもわるいことではないとボクは思っています。

受験勉強などでは「絶対合格する!」と机の前に貼ったりしますしね。

ただ、
できなかったからと言って、それを責めてしまう、
そして、その責める理由を「自分で言ったのだから」とするのは、酷ではないかな、と。

どうしても反省を促したければ、
「自分で言ったのに」とは、違う理由で諭してあげて欲しいと思います。

「自分で言ったんでしょ」とばかり言ってしまっては、
もう「できないことは言わない、言えない」となってしまい、

そのうち、何も言えなくなります。
あとで責められるのがこわくて、意思表示などせず、決意なんてせず、何も言わず、じっとしている方が安心、となってしまいます。


自分で「やる」と言うことは、
階段でいえば1段を登ったようなものです。

それを実行できるかどうかは、2段目になります。

「1段を登ったんだから、2段目も登れるでしょ」
「なんのために1段を登ったの、意味ないじゃない」
そして、
「自分で登るって言ったんでしょ」

と言ってしまいたくなるとは思いますが、

2段目がそれだけ高いものなのだ、
と思ってあげてみて下さい。

自分で「やる」と言ったのに、やらない、という事実を目にしたとき、

「自分で言ったのにもかかわらず、それでもできないということは、
 それだけ高いハードルなんだろうな」

と、感じてあげて欲しいなとは思います。

むしろ、
言ったこと、1段を登ったこと、をほめてあげて欲しいくらいです。

「まぁ、できなかったけど、決意をしたのは偉いと思うよ」とか、
「『やる』って言ったことだけでも前進だよ」とか。

1段目をほめてもらうことで、
2段目へスムーズに足を運べたりするものですし、
そうやって登った方が達成感も得やすいです。


自分で「やる」と言ったことを、

「理由」にしてプレッシャーにするよりも、
「ほめるところ」にしてあげる方が、
「やる」と言いやすくなります、決意がしやすくなります。

七転び八起き、という言葉がありますよね。

7回くらい「やる」「やる」言って、ほめて励ましてもらっているうちに、
本当に「やる」日が来ると思いますよ。