書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

信じることでどうにかなるものなのか

お子さんのことを「信じる」とか、
自分を「信じる」とか、
これらはいったい、なにを信じているのでしょう。

状況の好転を信じるとか、改善を信じるとか、
大まかに言えば、
大なり小なり、未来が明るくなることを信じるのでしょう。

しかし、
なにかを信じてみたところで、本当に未来が明るくなるものなのでしょうか。

信じようが信じまいが、
やることも環境も変わらないわけで、
それなのに、なにかが変わるものなのでしょうか。

仮に運命が決まっているものだとすれば、
信じようが信じまいが、未来が変わることなどないような気もします。

それでも果たして、
「信じる」ということに、意味はあるのでしょうか。

ボクはあると思っています。

「信じる」ことで、
ボクらは、それまで以上の力を得られることがあります。

もう少しだけ具体的に言えば、
人間は「可能性がある」と感じたときに大きな力を発揮したり得ることがあります。

例えば、
暑い中、目的地を目指して延々と歩き、
もう疲れて歩けないなと思っていても、
ふと目的地が見えたりすると、とたんに足が軽くなったりします。

目的地へ着く可能性をハッキリと感じることで、
気力も体力も得られるというわけです。


「可能性がある」と意識することは、
それだけで力になるのです。

ですから、
可能性を「信じる」ということは、
力を生み出す源泉とも言えます。

「信じる」ことは、
それまで以上の力になるのです。

「信じる」という行為そのものだけでも、
確かな力を得られるわけです。

逆に、
信じないでいたのでは、
なかなかそんな力すら感じることもできません。

本来は自分が持っているはずの
せっかくの力を引き出せないのですから、
それはちょっともったいない。

だから「信じる」ことに意味はあると思っています。


状況の好転、改善、明るい未来、
その可能性を信じてみましょう。

信じることで、力を得られるのですから。


いま苦しんでいる状態の方に、
「バラ色の人生」を信じましょうと言っても難しいかもしれません。

ですから、ほんの小さな“明るさ”でもいいと思います、
「今より少しずつでも良くなるはず」
「明日はいいことがあるといいな」
「このつらさがずっと続くはずはないだろう」
「いつかこの苦労がいきるかもしれない」
という感じで、
おおまかに信じてみるのでもいいでしょう。

とにかく「信じる」ことが力を生むならば、
あらためて「信じる」ことをしてみたいものです。

ほんの少しでもいいので「可能性」を信じてみましょう。
今より少しでも未来が明るくなる「可能性」を信じてみましょう。


「『可能性』など見えません、そんなものを『信じる』のは難しい」
という方は、

「あの頃はつらかったけど、おかげで今は楽しく生きている」
「大変だった時期は、いい経験だったと思っている」
「あれだけ悩んだから、これからは頑張れる」

などという“先輩”の言葉を信じてみるのは
いかがでしょうか。

信じたとたんに、
ちょっと力を得られるのだということも信じつつ。