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不登校生の親の学びの集い「おやまなび」

あべが思うこと

サイン

「これまでにサインを見逃したから不登校になってしまった」
「不登校になる前に、どんなサインを出していたのだろう」
「サインに気づいてあげられれば、不登校にはならなかったかも」

などとよく聞きます。

言い換えれば、
まずは過去に「サイン」があり、
その「結果」として「不登校」になった、というようなことですね。

それはそれで間違ってはいないのですが、
確認しておきたいのは、

「不登校」そのものも「サイン」である、ということです。


学校へ通えないこと、通っていないことを
「結果」として受けとめて、
その結果に至った過去の「サイン」を思い返す、
それがわるいわけではないですが、

それよりも、
学校へ通っていないこと自体を「サイン」として受けとめてあげて下さい。


不登校という「結果」をどうにかしようというのではなく、
不登校という「サイン」をどうとらえてあげるのか、です。

学校へ通っていないという「結果」を改善しようとするのではなく、
学校へ通っていないという「サイン」から、
その意味を考え、そして思い当たる背景があれば、それを改善してあげる発想が大切です。

なんとなく伝わりますでしょうか。

「サイン」とは、ある面で「意思表示」でもあります。

学校へ通っていないこと自体を何とかするのではなく、
学校へ通っていないという「サイン」から、
本人の意思を感じてみてあげるようにしましょう。

「学校はつまらないし家でゲームをしている方が楽しいよ」
という意思表示かもしれませんが、

「もう人間関係に疲れてしまったよ」とか、
「教室にいるとカラダが動かないんだよ」とか、
「頭が働かないよ、どうしたらいいのか自分でもわからないんだ」とか、
「いじめられていてつらいんだ、本当は誰かに助けてもらいたい」とか、

そんな意思、つまり「サイン」かもしれないのです。

ここでいう「意思」は、無意識のものも含みます。

また、保護者の方だけではなく、
当事者のみなさんにとっては、
自分の心の「サイン」だと受けとめてみて下さい。

どうしても学校へ行けない、ということは、
自分の心あるいは内面から、なにかしらの「サイン」が出ているということです。

学校へ行けないという「結果」だけを見てしまうと、
行くか行かないか、というだけのことしか考えられず、余計にきつくなります。

学校へ行けないということは、自分の心の「サイン」なのだ、
と受けとめてみれば、
だったら無理をしない、誰かに相談してみる、などの対処を思いつくかもしれません。


繰り返しですが、
学校へ行っていないことは「結果」ではありません。

学校へ行っていないという「現象」を通した、
なにかしらの「サイン」なのです。


「サインを見逃したから不登校になったのだ」というのであれば、
あらためて、
「不登校」という「サイン」は、
どんな意思表示なのだろうか、なにを求めているのだろうか、
なんのサインなのだろうか、どう気づいてあげればいいのだろうか、
などと考えてみましょう。

ちなみに、
「サイン」の意味を考えることは、
「原因を探る」という意味ではありません。

「サイン」については「意思表示」という言葉が適切だとボクは思っています。

原因が何かということよりも、
いま何を訴えているのか、いま何をして欲しいのか、
本人の気持ちの奥底にあるどんなものが、不登校という「サイン」として現れているのか、

そんなイメージで考えてみて下さい。


「サインを見逃してしまった」、
「サインに気づいてあげられれば」などと悔いることはないのです。

学校へ行けていないこと自体が「サイン」だとすれば、
まさに今、ハッキリとしたサインが示されているのですから、
これから、そのサインの意味を考えてあげられればいいのです。

本人たちには申し訳ない言い方ですが、
むしろ、
サインとして現れていることに感謝しつつ、
サインによって考えるきっかけをもらえることはいい機会だととらえて過ごせれば、

それが「前向き」ということかもしれません。