書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

子どもたちの”情報源”

「情報」は、
行動や発想、思考の元となります。

どんな情報を得ているかによって、
考え方や言動が、それに反映されたりします。

では、
子どもたちは、どこから情報を得ているのでしょうか。

子どもたちが、最も多くの情報の源(みなもと)としているものは
なんでしょうか。


インターネット、スマートフォン、テレビ、雑誌、友人との会話、
色々ありますね。

ただ、最も多く、
また本人たちが確かな情報として得ている源は、
「保護者」です。


あえて、「親」と書きますね。

親から言われたこと、
親の態度、

また、
親同士(夫婦)の会話や様子、
きょうだいなどの家族に対する親の発言や振る舞い、

それらは、
本人たちにとって、とても“有力な情報源”となります。


テレビの話題は忘れても、
幼少期に親から言われたことは全く脳裏から消えなかったり、

インターネットの情報はなんとなく見ていても、
家族間の様子はしっかりと目に留めていたり、

本人たちにとって、
意識するしないに関わらず、非常にインパクトのある情報となり得ます。


なにを言ってあげても、
スマートフォン片手にそっぽを向いて聞いていない、

ように見えても、聞いています。

ずっと部屋にいて出てこない間に行われている家族会議も気にしていますし、

ささいな一言や、とっさの態度も、
よく覚えています。


だから、
親は発言に気をつけて、とか、
良い親としても振る舞いを、とか、
そういうことは意識しすぎなくていいと思います。

無理にとりつくろっても、
それすら、よく見ていますし、
無理をしたところで、何かを感じますから。


聞いていないようで聞いている、
見ていないようで見ている、
こちらが忘れていることも覚えている、

ということだけ、知ってあげておいて下さい。


いつも学校へ行かなくて、
あまり会話もなくて、いつも同じような生活で、
なんだか存在が薄いように思えていても、
そんなことはなく、
確実にそこにいる、そこに存在している、そこで確かに生きている、
ということだけ
意識して頂ければいいと思います。

発言や振る舞いは、
思うままでもいいんです。
もともと、親は子を愛しているわけですし、
もともと、愛しているからこそ心配し小言を並べたりイラついてしまうわけですから、
その愛情だけ信じていれば、
思うままの言動でもいいんです。

もしも、
過去の振る舞いや言動で「しまったな」と思いあたることがあれば、
きちんと謝って、訂正をすればいいです。
きちんと謝れれば、その後の言動は勝手に変わっていきますから。


子どもの前では良い親でいなさい、ということではありません。
壁に耳あり、と警戒しましょうという話でもありません。

屋根の下には、
家族の数だけの生命が、確かにある、
本人の存在が確実にある、ということだけ、
あらためて意識してあげて下さい。

その意識が、
自然と言動に現れたとき、
それらが本人たちにとって、
とても有益な“情報”になりますから。