書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

時間が解決

ボクは「解決」という言葉を使わないようにしています。
その理由は置いておくとして、
今回は、わかりやすくするために「解決」という言葉を使いますね。

「時間が解決する」ということはあります。
結構あります。

時間が解決するという事柄は、
こちらがあれやこれやと手を尽くそうが尽くすまいが、
そうしている間に解決あるいは改善するものです。

あれやこれやの「手」が解決したように見えても、
実はそうではなく、ただただ時間の経過によって解決に至っていることはあります。

ボクがよく保護者の方へ、
「ほうっておいていいんじゃないですか」と言うのは、
時間が解決することが少なくないから、というのもあるわけです。

お子さんの元気がなくなった。
なにをしても元気が出ないので、あきらめた。
その日から牛乳を飲み始めた。
3ヶ月後、お子さんに元気が出てきた。

これは、
牛乳を飲んだから解決したのではなく、
単に時間が解決しただけだったりするのです。

わかりづらい例えで、すみません。

ともかく、「時間が解決する」ということはあります。
子ども達に置き換えれば、
「時間」イコール「成長」とも言えますので、
「成長とともに解決する」と考えてみると、つじつまは合いやすいかもしれません。

あるいは、「感情」は時間の経過とともに変化するものです。
ケンカをしても時間が経てば仲直りできる、というのは典型ですね。

どんな事柄は「時間が解決」できて、
どんな事柄はできないのか。

それを考える前に、
「時間が解決する」ということはあるものだ、と認識して下さい。

「時間が解決する」のですから、
だったら、
「その時間をどう過ごすか」の方が大切ですし、
それを考える方が価値的です。

たまにでいいですから、悩んでいることについて
「これは時間が解決するかもしれないな」と思ってみて下さい。

だから、じたばたするよりも、
解決までの時間を有意義に過ごした方がいいかもしれません。
逆に言えば、 「解決までは時間を要する」わけですから、
やはり、じたばたするよりも、
解決までの時間を有意義に過ごした方がいいかもしれません。

ボクがよく、
お子さんに好きなことがあるなら、たくさんさせてあげてていいですよ、
とか、
保護者の方は自分の時間を作って下さいね、
とか言うのは、
そういうことです。

解決までの時間、
どうせ過ごすならば、好きなことでリラックスして過ごさせてあげよう、
どうせ過ごすならば、自分も肩の力を抜いたりしてみよう、
そんな風に考えてもいいわけです。

解決まで、ちょっと時間がかかるということ、
でもそれは、「時間が解決する」ということ。
その「時間」そのものも大事な人生の一部です。

だから、解決までの「時間」そのものの過ごし方を考えてみましょう。
焦らない、とは
ある面でそういうことです。

「時間」は子ども達を成長させる、と書きましたが、
実は大人も成長させてくれるもの。

そんな「時間」にしたいですね。