書籍「不登校そうだんしつ」出版

あべが思うこと

 

 

夢なんて、

あってもなくても、どちらでもいいと思っています。

 

夢のある人は、それに向かって頑張ればいいし、

夢がない人は、夢がないままに生きていけば、それでいいと思っています。

 

 

よくオトナたちは子どもに向かって

「夢を持て」と言います。

 

保護者のみなさんも、

「夢でも持ってくれれば動き出せるだろう」と言い、

その想いからか、本人へ夢を持たせようとします。

 

それはそれでいいのですが、

夢がないからといって、それがわるいわけじゃないですよね。

それに、

夢がなくても生きていけます。

 

 

いざ、夢を見つけたとしても、

「だったらその夢に向かって、学校くらいは行かないとね」と言われたり、

あるいは、

「そんな夢じゃ、食べていけないよ」などと言われては、

 

夢を抱くことすら、嫌になってくるかもしれません。

 

 

夢があれば動けるのか、といえば

逆のことは多いです。

 

夢を持っていようがいまいが、

心に傷を負って動けないのであれば、傷が癒えない限りは動けません。

 

それは夢があるとかないとかではなく、

傷が癒えてないだけです。

 

夢がないから動けない、のではなくて

夢があろうとなかろうと動けないのです、決して「夢がない」ことが原因ではありません。

 

 

また、

「食べていけない」というのはオトナの価値観ですよね。

 

せっかく持った夢に、オトナの価値観を当てはめてしまえば

それは夢と言えないものになりかねません。

 

 

夢を持っても、動けない。

夢を持っても、それは違うと否定される。

 

そういう環境下で「夢を持て」と言われても、なかなか難しいでしょう。

 

しかも、

夢がないことを、わるいことかのように言われては、余計につらいです。

 

 

「夢を持たせよう」とするよりも、

「夢を持ってもいいと感じられる環境」をつくってあげて下さい。

 

「夢を持ってもいいんだ」と感じさせてあげて下さい。

 

夢を持つことは義務ではなく、権利です。

 

その権利は、

いつ使ってもいいものであり、

オトナの価値観に合わせなくてもいいものです。

 

 

きっかけは与えてあげて下さい。

けど、

夢は自分で見つけるものです。

 

自分で、自分のタイミングで、自分の価値観で、夢を見つけたらそれでいいと思います。

 

夢がないならないで、いいんです。

 

これを読んでいるオトナのみなさんでも

夢を持っている方は多くないでしょう。

 

オトナができていないことを子どもに求めるのも、

ちょっとかわいそう。

 

 

夢のないことを否定しないであげて下さいね、

夢のないことをダメだと思わないで下さいね。

 

夢を持たせようとする前に、

夢を持ってもいいと感じられる環境を作ってあげて下さい。

 

では、

どうすれば「夢を持ってもいいと感じられる環境」を与えてあげられるのか。

 

そのために

まずは「夢がなくてもいい、と安心できる環境」を作ってあげて下さい。

 

 

強制されるものではありませんし、

否定されるものでもありませんから、

そうはならないと安心できる環境にいることが大切です。

 

そうして安心できて初めて、

本人らしい夢が見つかるかもしれません。

 

そうして抱いた夢は、

大事に大事に抱き続けて欲しいですね。